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【スタディスコア】 パガニーニ・ロスト イン ウィンド
長生 淳 作曲
演奏時間 約9:00
グレード:5
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指揮者・大井剛史が「Paganini Lost in Wind」の魅力や真髄について作曲者・長生淳に迫る対談動画を公開中!「徐々にテーマが見えてくる」特殊な変奏曲として書かれた作品、サウンドの根幹には作曲者も無意識だったある作品の影響が?非常に複雑な作品構成が両氏の対談からつまびらかに!
【スタディスコア】とはレンタル楽譜のスコアのみを販売するものです。
作品をより深く理解するための楽曲研究に、またレンタル楽譜を申込む前にスコアをみて確かめたい方にお役立て頂けます。
演奏の際はレンタル楽譜のお申込みページからレンタル契約の上ご利用下さい。
※スタディスコアは閲覧および楽曲研究を目的としておりますので、スタディスコアを使用しての演奏(電子オルガン含む)、編曲など実演目的でのご利用は固くお断りしております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。
演奏の際はレンタル契約が必要です。
レンタル楽譜のお申し込みはこちらよりお願いします。
今の世の中にあってしばしば見失われがちな、本当に大切な「なにか」とは
この曲は、もともとは須川展也氏の委嘱により2008年に書いた、2本のアルト・サクソフォンとピアノのための曲です。その際、氏から「パガニーニの(24のカプリスの終曲の)主題を使って」との希望があったのですが、その主題は、一般的な変奏曲とは異なり、見つけにくい形で象徴的に用いられています。それは狙いというよりは結果で、ではなぜそうなったかという理由のひとつは、書いているときに念頭にあった、須川氏の音楽における求道的な姿勢、つまり氏が追い求める「なにか」のように主題を扱ったということです。言い換えるなら、今の世の中にあってしばしば見失われがちな、本当に大切な「なにか」のように。
しかし改めて振り返るともうひとつ思いあたることがあって、それは“Lost Paganini”ではなく“Paganini Lost”とした理由でもあるのですが、頭のどこかに“Paradise Lost”という言葉がひっかかっていたせい。そして私にとって身近なのはミルトンの叙事詩ではなく菱山修三の詩、その一節を引いてみます。
『虚空のなかへ、僕は身ぐるみ堕ちる、ああ、なんといふ Paradise Lost(!)
僕は、いつまで堕ちつづけるのだらう、見知らぬ世界を、翼を折られた小鳥のやうに?』
この喪失感と、それゆえの追い求める気持ちが重なって綴られたのがこの曲、ということになりそうです。
吹奏楽版は東京佼成ウインドオーケストラのために、各パート1人ずつで演奏出来るように、と2011年に編曲したもの。それぞれのパートがなるべく等しく活躍するように、と心掛けて書いたため、演奏し甲斐はあっても、大変な面もあろうかと思います。
演奏上のアドヴァイスとしては、技術的なところでなかなか大変で、その上、曲の中での自分の役割がわかりにくいところも多いのではないでしょうか。
「なぜ自分がこんな大変な目にあわなければいけないのか!?」その答えを、全体をよく聴くことで見つけてください。演奏しながらが難しいなら交代で抜けて聴く、スコアを見る、などして、曲のそれぞれの部分にどんな線があり、自分がそのどれに加わっているかを確かめてみてください。
そしてもうひとつ、大変なのは自分だけではなくみんな、なのです。そう気づくことで、普段以上に連帯感を持ってもらえればと思います。
それぞれの楽器が存分に主張してうねりをつくり、全体としては息の長い持続を感じさせる、そんな演奏を期待しています。(長生淳)
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指揮者・大井剛史が「Paganini Lost in Wind」の魅力や真髄について作曲者・長生淳に迫る対談動画を公開中!「徐々にテーマが見えてくる」特殊な変奏曲として書かれた作品、サウンドの根幹には作曲者も無意識だったある作品の影響が?非常に複雑な作品構成が両氏の対談からつまびらかに!
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今の世の中にあってしばしば見失われがちな、本当に大切な「なにか」とは
この曲は、もともとは須川展也氏の委嘱により2008年に書いた、2本のアルト・サクソフォンとピアノのための曲です。その際、氏から「パガニーニの(24のカプリスの終曲の)主題を使って」との希望があったのですが、その主題は、一般的な変奏曲とは異なり、見つけにくい形で象徴的に用いられています。それは狙いというよりは結果で、ではなぜそうなったかという理由のひとつは、書いているときに念頭にあった、須川氏の音楽における求道的な姿勢、つまり氏が追い求める「なにか」のように主題を扱ったということです。言い換えるなら、今の世の中にあってしばしば見失われがちな、本当に大切な「なにか」のように。
しかし改めて振り返るともうひとつ思いあたることがあって、それは“Lost Paganini”ではなく“Paganini Lost”とした理由でもあるのですが、頭のどこかに“Paradise Lost”という言葉がひっかかっていたせい。そして私にとって身近なのはミルトンの叙事詩ではなく菱山修三の詩、その一節を引いてみます。
『虚空のなかへ、僕は身ぐるみ堕ちる、ああ、なんといふ Paradise Lost(!)
僕は、いつまで堕ちつづけるのだらう、見知らぬ世界を、翼を折られた小鳥のやうに?』
この喪失感と、それゆえの追い求める気持ちが重なって綴られたのがこの曲、ということになりそうです。
吹奏楽版は東京佼成ウインドオーケストラのために、各パート1人ずつで演奏出来るように、と2011年に編曲したもの。それぞれのパートがなるべく等しく活躍するように、と心掛けて書いたため、演奏し甲斐はあっても、大変な面もあろうかと思います。
演奏上のアドヴァイスとしては、技術的なところでなかなか大変で、その上、曲の中での自分の役割がわかりにくいところも多いのではないでしょうか。
「なぜ自分がこんな大変な目にあわなければいけないのか!?」その答えを、全体をよく聴くことで見つけてください。演奏しながらが難しいなら交代で抜けて聴く、スコアを見る、などして、曲のそれぞれの部分にどんな線があり、自分がそのどれに加わっているかを確かめてみてください。
そしてもうひとつ、大変なのは自分だけではなくみんな、なのです。そう気づくことで、普段以上に連帯感を持ってもらえればと思います。
それぞれの楽器が存分に主張してうねりをつくり、全体としては息の長い持続を感じさせる、そんな演奏を期待しています。(長生淳)